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確かに、急いだ結婚ではありました。
短い交際期間、短い同居期間を経て、妻・Aの体調の悪化によりマスオさん生活へ入りました。
小競り合いはあったものの、「恋は盲目」とは恐ろしいもので意欲的に克服してきたつもりです。
そして、Aの40日にわたる長期入院には、「大切な人を失いたくない。」思いで、付き添ったり用事をこなしたり、また仕事とも両立することもできたと思っています。
その間に、Y家の要望であった「婿養子」を決心したところです。
しかし退院してからというもの、Y家より養子として勧誘するためにされていた話は変化していきました。
また、子育てなどに義父母より大きな干渉を受け、何度か衝突もありました。
そして、義父より、「男の子ができると婿には用事がない。」と意思表示がされました。
何度も話し合いの場をもちました。しかし話し合いとして成立しませんでした。
わたしの兄姉も業を煮やして、6月28日には松村家3兄弟でY家に向かって会談の場をもったところです。Y家の都合での話、今までの出来事に対する言い訳に始終しておりました。
元嫁、元義父母は三位一体となり、一方的かつ頑なに離婚を主張します。
再三、Y家より誹謗中傷され大きな屈辱を受け、その後の話し合いは困難と判断し、Y家の言い分を大きく聞き入れる形で7月7日に離婚しました。
男児誕生後の離婚について、「離婚にあたっての理由はなんでもよかった。」「早期より計画していたのではないか?」と思われる節も多々ありました。
また、入院中にAより、「婿養子は一家で計画していたことだった。」と聞かされておりました。
私は、Aの出産時の大きな出来事から安定するまでのあいだ、婿養子を前提に考えておりました。それは、早急すぎる考えであったと思っています。「見抜けなかった自分も悪い。」と思う部分も多々あるからです。
8月23日には「養育費を考えてください。」とメールが元嫁・Aより届きます。
その後、元嫁・Aは事実に反する理由に基づいて調停をでっち上げ、調停中も虚偽の申立て、偽証を繰り返します。
わたしからも調停を申立てます。わたしから矛盾点の指摘を受けると、元嫁・Aは交換条件を提示し一方的に打ち切りを宣言します。
そして、わたしは苦渋の選択をします。
Y家は、密室で言いたいほうだい言ったことも正しいと言っています。
そして、時間がたてば、Y家の都合の良いように話を作りかえては要求してきております。
しかし、多勢に無勢、Y家は子どもを盾にしてさえ言いたいほうだい言う状況では、密室での話とすることは難しい状況と言えます。
調停というシステムさえ、Y家にとっては都合の良いシステムだったようです。
このサイトの存在は、決して褒められたものではありません。
しかし、どうか、この窮状、屈辱をご理解いただいて、ご支援、ご支持、叱咤叱責をいただきたいと存じております。
昨今、「結婚して子どもができると、婿を粗末に扱うケースはある。」と聞きます。
このサイトには、「よく聞く話」も多いと思います。
今現在、「結婚で悩んでいる。」、「今現在マスオさんだが、現状について悩んでいる。」、「婿養子になろうか悩んでいる。」諸兄は多くいると思います。
決して驚かせるわけではありませんが、「世の中には、こういう話もある。」と肝に銘じていただいて、慎重に検討していただきたいと思います。
後続の方々へ…「自分は失敗しない。」との自信は必要です。しかし「必要以上の警戒は不要としても、予期せぬ事態は起こりえる。」と理解してください。
自らの人生、結婚を見つめ直すという意味と、全国の不遇な婿殿へ問題提起し、警鐘を鳴らします。
サイトが意見を交換し合える場となるよう、掲示板を設置しています。
ご意見、ご感想、体験談など寄せていただけると幸いです。
Y家一党は姑息、狡猾な手段をとりつづけてきました。わたしの戦術、戦略に稚拙な部分があることは否定できません。
このサイトの内容について模倣、示唆などを行って生じた、いかなる損害、不利益について、わたし松村英司は責を負うことはできません。あらかじめご了承ください。
長文が多く、また読みにくいサイトですが、どうか最後までお付き合いください。
わたしが祈るのは、「後につづく方は同じ道をたどりませんように。。。」です。
主な関係者
徳島市
松村 英司
小松島市
Y家 A(元妻) R(元義父) H(元義母)
経過など
手記
2003_0430松村家Y家のこれまでと今後
2003_0516松村家Y家、2度の別居を経て
2003_0525松村家Y家、25日の会談まで
2003_0530松村家Y家、25日から保険証についての電話まで
2003_0703松村家Y家、6月上旬から28日の6者会談、離婚届提出まで
2003_0907松村家Y家、Aより養育費催促メールからK1才誕生日まで
2003_0928松村家Y家、Kへのプレゼントから、Aが兄に電話まで
2003_1017松村家Y家、Aの放言から、Kの顔を見に行ったときの発見
2003_1127松村家Y家、Aの調停での虚偽の発言について
2003_1127松村家Y家、親権について
2004_0122松村家Y家、第2回調停を終えて
2004_0303松村家Y家、第3回の調停へ向けて
2004_0305松村家Y家、第3回調停を終えて
2004_0313松村家Y家、第3回調停その後
2004_0320松村家Y家、総括
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